前燕
●苻堅後の華北。 ●西燕は本来、前燕の後継政権。 ●西燕は建国当初から親慕容垂か、反慕容垂かで内紛。 ●慕容永が内紛を終息させる。 ●西燕における親慕容垂か、反慕容垂かで対立する理由。 ●慕容垂と慕容儁の不仲について ●野心家慕容永の登場。 ●慕容永、慕…
徙民政策は、曹操・曹丕に始まり、 石勒が完成させ、その後各王朝に受け継がれる。 石虎、前燕、前秦、後燕、後秦、北魏と 数十万人単位の徙民政策を行なって国家体制を固めることとなる。 それほど有用な政策であった。 初めは孤立を補うための政策。 のち…
●357年時点 ・前燕 ・前秦 ・東晋 ●前燕と東晋の黄河ー淮水間攻防戦 ●前燕、破竹の勢いで南下。 ●前燕皇帝慕容儁が早死。慕容恪摂政。 ●自身を周公旦になぞらえた慕容恪、364年洛陽攻略するも367年に死去。 ●慕容恪の死を機に桓温が第三次北伐。 ●東晋の反撃…
357年末で三国対立の情勢が確立する。 ●前秦まとまる。姚襄の死と、苻堅即位。 ●前燕の河北制覇 ●東晋 桓温全盛期 ●前燕、前秦、東晋の三国対立が確定。 ●前秦まとまる。姚襄の死と、苻堅即位。 姚襄は桓温に敗れた後、 幷州の平陽に逃げ込む。 劉淵が建てた…
桓温の第二次北伐の実行。 ●桓温対建康政府の対立。 ●東晋政府から反対された桓温の第二次北伐 ●前燕鮮卑慕容部はライバルの青州段部に付きっ切り ●前秦は皇帝苻生の暴政により混乱中。 ●姚襄と桓温の洛陽伊水決戦。 桓温は、354年の前半に第一次北伐を実行…
●慕容垂の罪はなぜ許されるのか。 ●異民族の苻堅が東晋謝安という漢民族に負けたから。 ●謝安を持ち上げる漢民族優越主義 ●人として慕容垂の裏切りを許せますか。 ●鮮卑慕容部裏切りの歴史は自らを亡国へ導く。 ●異民族気質の慕容垂は自己中心的である。 ●慕…
●慕容評の4つの事実 ●慕容儁の、慕容評の扱いと大きな差がある慕容垂いじめ ●従順な慕容評、その存在の特異性。 ●慕容垂は悪人である。 ●慕容評と慕容垂、どちらが奸臣か。 慕容評の実態について、 以下に四点に集約する。 これが実態である。 ●慕容評の4つ…
●慕容評とは何者か。 ●慕容評は実は甥慕容恪らと同世代。 ●慕容評と慕容恪の相性が良い理由 ●後世のイメージとは異なり慕容評は最前線で戦っている。 前回は慕容評の歴史的評価に対する疑問点を挙げた。 今回は慕容評の実像を考えたい。 ●慕容評とは何者か。…
前燕は慕容儁の時代に大きく勢力を伸ばした。 慕容評はこれに大きく貢献したのだが、 歴史の中から消されてしまう。 なぜなのか。 ●慕容評の存在は前燕にとって大きい。 ●後の「奸臣」慕容評は兄慕容皝、甥慕容儁に非常に信頼された。 ●慕容評が「奸臣」扱い…
後世の評価が低い慕容評。 これは事実ではない。 当時の歴史は、 東晋中心に描かれ、そしてその東晋に立ち向かった 苻堅を異民族の中ではピックアップする。 ●慕容恪をサポートする慕容評 ●慕容恪・慕容評ラインこそが前燕の成功要因。 ●慕容評単独では前燕…
慕容恪(ぼようかく)がなぜ輔弼という概念を理解し、 そして実行し得たのか。 ●慕容恪は何故兄慕容儁を輔弼し得たか。 ・弟であること。 ・慕容恪は、異民族と漢人とのハーフ。 ●慕容恪の母の出自、渤海高氏とは。 ●姜斉、田斉の血を継ぐ者こそが中華の本流…
●慕容恪は軍人として歴史的な人物である。 ●輔弼を初めて理解できた異民族・慕容恪 前燕慕容儁の成功要因は、 弟慕容恪と叔父慕容評の協調体制にある。 これは鮮卑慕容部としては、 稀な事象だということを①にて述べた。 ここでは、 慕容儁の弟慕容恪個人と…
鮮卑慕容部が、 大きく雄飛するのは慕容儁(ぼようしゅん)の時代である。 ●あっという間に河北を獲得した慕容儁 ●慕容儁の幸運、慕容恪と慕容評のサポート ●慕容部の兄弟争いはいつものこと ●叔父の専横も異民族の通例 これを実現できたのは、 弟慕容恪と叔…
●鮮卑慕容部、その孤立の理由。 ●鮮卑慕容部、7代かけて皇帝となる。 ●親中華の鮮卑慕容部は異民族から嫌われる。 ●鮮卑慕容部の親中華は、魏司馬懿の遼東攻略に始まる。 ●八王の乱をきっかけに鮮卑慕容部は孤立することになる。 ●四面楚歌を勝ち切った鮮卑…
●鮮卑慕容部が燕として中華圏の勢力となったのが慕容皝時代 ・慕容皝の方針は、父慕容廆路線を継承。 ●慕容皝体制立ち上がり期の内乱 ・庶兄慕容翰らとの争い ・弟慕容評は慕容皝に従う。 ●慕容皝は鮮卑段部を滅ぼして、燕王を僭称する。 ・石虎を撃退 ・東…
●慕容廆の治世の長さは鮮卑慕容部の安定をもたらす。 ●慕容廆の基本戦略は、西晋・東晋への従属で勝ち残る。 ※「宇文部について」 ●慕容廆が後を継ぐと、庶兄慕容吐谷渾は青海へ去る。 ●慕容廆、王浚・石勒らの攻撃をはねのけ、遼東で自立する。 ・第一の敵…
●鮮卑慕容部、慕容渉帰の代に一勢力となる。 ●慕容廆の代で鮮卑慕容部は自立した勢力となる。 ●慕容皝の代に燕王を名乗る。 ●慕容儁、前燕皇帝となる。 ●前燕のラストエンペラー、慕容暐。 鮮卑慕容部において、中華の歴史に関わって前燕の建国滅亡までの ト…
354年の桓温第一次北伐から356年桓温第二次北伐までの 中華情勢に言及して、桓温の軍事上の狙いを考えたい。 ●前燕の鮮卑慕容部が勢力を大きく伸張させる。 ●桓温ができるのは寡兵による電撃戦、その効果的な目標はどこか。 ●洛陽を狙う、姚襄と桓温 ● 裏切…
殷浩が姚襄に裏切られ、 北伐は失敗。 殷浩は姚襄を暗殺しようとしていたのだから当然であった。 桓温の、殷浩に対する左遷要請に、建康政府(つまり司馬昱)は折れ、 殷浩を放逐する。 こうして桓温にお鉢が回ってくる。 ここで352年の殷浩北伐失敗から370…
慕容恪。 父を助けて、慕容部の勃興を助ける。 兄を助けて、前燕帝国の成立を実現する。 そして、華北エリアの大部分を攻め取る。 西は、前秦苻堅を関中に押し込み、陝県(三門峡)を境とし、 南は淮河までを領域とした。 これらを実現したのは、 前燕慕容部…