八王の乱を通じて思うのは、
人間というのはこの時代において、
物資である。
いやストレートに言う。人は物だ。
インターネットも携帯電話も、
核爆弾も、トラクターもない時代において、
全て行うのは人間である。
その物資である人間をどれだけ多く扱えるかが、
権力者の力となる。
情報を集めるにも、人間である。
人間を方々に撒いて、情報収集するのである。
連絡を取るにも人間だ。
人間を遣わして連絡を取り合う。
スピードを速めたけば駅伝制を取ればよい。
やはり人手が必要。
大量殺戮をするには、
たくさんに人間に武器を持たせて、地道に一人ずつ殺していくほかない。
その時に力になるのは人間の数だ。
農地を耕さなくては生きていけない。
病気であろうがなんであろうが、
とにかく農地をきちんと管理しなくては
来年死ぬのである。
だから人手が絶対的に必要で、
庶民ができることは子を増やすことである。
それしか対抗措置がない。
庶民の悲哀である。
グローバルで見ても、
産業革命以前は全て人間の数こそが
力の源泉である。
庶民は子を増やす。
食い扶持をうまく増やせれば、富の拡充につながる。
本家を元に、
分家ができ一族繁栄となる。
娘を他家にやり婚姻を結ぶ。
本家、分家ほどではないが、
婚姻関係の一族とも相互扶助関係を結ぶ。
これこそが、産業革命以前の
成り上がり方だ。
八王の乱において、戦略も何もあったものではない。
誰がどれだけの権力を握れたか。
具体的には、軍権である。
その実態は人の数である。
人の数が物を言う、というのが如実に出たのが、
この八王の乱である。