桓玄
東晋の命運にとどめを刺し、南北朝への時代の幕開けを行う劉裕。 ●404年劉裕の全権掌握 ●ここで桓温を模倣することができるのが劉裕の凄さ ●劉裕の第一次北伐、409年南燕討伐。 ●411年孫恩の乱の鎮圧完了。 ●劉裕、412年政敵を排除完了。 ●413年に蜀の確保。…
395年と404年。 五胡十六国時代末期、 北と南はそれぞれ異なるタイミングで時代が代わる。 ●華北異民族は群雄割拠、争乱の歴史。 ●華南東晋の漢民族は権力闘争の歴史。 ●大陸中国という現代の枠組みで考えない。 395年は、 華北の異民族抗争に関する天王山、…
●孝武帝と司馬道子の兄弟争い ●恩倖(オンコウ)の初登場 ●398年亡き孝武帝の義兄、王恭の乱 ●司馬道子の子、司馬元顕が孫恩の乱を引き起こす。 ●桓玄が東晋の実権を奪い、皇位を簒奪する。 司馬道子。 東晋末期の悪役である。 謝安を384年に追い出してから…
●司馬倫とは ●軍閥化 ●桓玄と司馬倫の家庭環境。 ●桓玄、司馬倫は皇帝を尊重しない ●皇帝という権威を崩壊させた、司馬倫と桓玄。 桓玄は西晋を亡国へ導くきっかけとなった、 司馬倫に 非常に似通っている。 ●司馬倫とは 司馬倫とはだれか。 司馬倫は、 狭義…
●皇帝の影が薄い東晋 ●東晋皇帝安帝は知的障害者であった。 ●西晋末と東晋末は同じ構図 東晋の歴史は桓玄簒奪で終わる。 ●皇帝の影が薄い東晋 東晋は、 桓玄が皇位を簒奪したことで、 その息の根を事実上止められた。 この後劉裕により、 復興させられるが、…
●王導の嘘。 ●謝安の嘘。 さて、東晋は、前記事の通り、 下記8名の人物で東晋の歴史を語れる。 王導 王敦 庾氏三兄弟(代表は長兄庾亮) 桓温 謝安 司馬道子 桓玄 劉裕 この中でポジティブな描かれ方をしている人物を◯、 ネガティブな描かれ方をしている人物…
桓玄について。世に出るまでについて述べたい。 彼の世に出るまでは4歳から21歳までである。 長い。 ●4歳の幼児、「楚公」となる。 ●桓玄の後見人桓沖が譙国桓氏を守り抜く。 ●21歳にして桓玄、世に出る。貴族扱いに不満。 ●自らの才能を抑えきれない桓玄 ●…
謝安6つの批判の最終稿である。 ●⑥に関する引用文 ●⑥の反論〜桓沖側からの積極的な撤退〜 ●謝安のドラマチックなエピソードに騙されてはならない。 ●謝安賞賛は桓温批判のためである。 謝安賞賛=桓温批判が、 結論だ。 後世の貴族名族たちは、 自分たちを圧…
東晋の輿論を得ていた桓温。 その威光を背景に桓温の子、桓玄は皇位を簒奪。 しかしその性急なやり方は反発を買い、 劉裕に足をすくわれる。 ●軍を賤む貴族名族 ●貴族名族と劉裕はwin-winの関係 ・有職故実に詳しい貴族名族の支援を受けた劉裕は禅譲への道を…
●桓温の遺産: ●桓玄、致命的な間違いを犯す。 ●待てなかった桓玄 東晋中央は、 司馬道子が専権を振るい、 不安定になる中、 荊州は安定していた。 ●桓温の遺産: 345年以来50年以上桓温の王国と言って良かった荊州は その統治の見事さを象徴するかのごとく…