●鮮卑慕容部の後ろ盾を得て鮮卑拓跋氏が自立。
これを機に拓跋什翼犍は鮮卑慕容部と手を結び、
婚姻関係を結ぶ。拓跋什翼犍が石虎から離反したことになる。
拓跋什翼犍の初めの王后は、
慕容皝の妹であり、その王后の死後二番目の王后に
迎えたのは慕容皝の娘である。
これは鮮卑慕容部が前燕を建国したのちも続き、
370年に前燕が前秦王猛に滅ぼされるまで続く。
拓跋什翼犍による鮮卑拓跋氏の復興、独立は、
遼東の鮮卑慕容部が後ろ盾であったということになる。
これは事実上、鮮卑慕容部に鮮卑拓跋氏が従属するというものである。
鮮卑慕容部は以前から東晋の冊封下にあった。
西晋以来中華王朝に親しむ鮮卑拓跋氏は
異民族の石虎よりも、中華王朝の東晋皇帝を選ぶ方が、
伝統的な政策に馴染みやすかった。
また、
異民族が中華王朝と結びつくというのは、
相当の権益もあったのだろう。
鮮卑拓跋氏の親中華、
つまり西晋・東晋との友好関係を継続するというのは
頑として揺るがない。
我々が想像できる以上に、
異民族にとって中華王朝と交易ができるということは、
多大な繁栄を保証するのであろう。
例えば一説には、馬は現代の自動車一台と同程度の価値で取引されたという。
子どもの頃から当たり前のようにその辺にいる馬一頭で、
一年間生活できるほどの利益になるのだから、それはとてつもない富なのであろう。
そして中華の文明力はたとえ長江の南に撤退したといえど、
強烈な印象を残し、常に従属せざるを得ないのかもしれない。
こうして、
拓跋什翼犍は、鮮卑拓跋氏の統一と
自立を一挙に達成したのである。
慕容皝が石虎を撃退するという快挙の裏で、
鮮卑拓跋氏の統一と自立が成し遂げられた。
●鮮卑慕容部の勢力伸長
352年前燕成立。
357年鄴へ遷都。
前燕の快進撃もあり、鮮卑拓跋氏は南方が安定する。
前秦とも通交は怠らず、拓跋什翼健はそつがなかった
一方漠北の遊牧民族高車に対しては攻勢を仕掛け大勝。
363年と370年の二度攻撃して打ち破っている。
このように、
旧黄河回廊を中心に北方を支配していた鮮卑拓跋氏の拓跋什翼犍。
前燕、前秦、東晋がしのぎを削る、その外側で
うまく勢力を伸ばしていたのがこの鮮卑拓跋氏、代王国である。
そんな好調の拓跋什翼犍の足元をすくう勢力が現れる。
鮮卑拓跋氏の前代の北方異民族の覇者、匈奴の末裔である。
●参考図書:
シナ(チャイナ)とは何か (第4巻) (岡田英弘著作集(全8巻))
- 作者: 岡田英弘
- 出版社/メーカー: 藤原書店
- 発売日: 2014/05/24
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (3件) を見る