●李世民は宇文泰のひ孫。
李世民は後周の開祖宇文泰の曾孫である。
あまり知られていない事実である。
母が宇文泰の孫である。
李世民の母の父は、竇毅といい、八柱国の一人。
李氏自体は、
表向きは隴西李氏である。
五胡十六国の西涼の末裔。
これは漢民族の王族の子孫ということである。
やはり「漢族」の名族である。
が、これは偽りである。
実際には、
鮮卑族の出身で、
八柱国の家系である。
つまり、李世民は「異民族」の名族なのである。
李世民の曽祖父李虎が
宇文泰により八柱国に任じられている。
建国の元勲の一人である。
李虎は、
北周成立後の564年9月に建国の功臣として改めて唐国公が追贈されている。
これが起源となって、子孫の李世民の父李淵は唐となるのである。
●李世民の皇后も異民族のプリンセス。
さらに、
李世民の妻は、長孫無忌の妹。
長孫氏は、
北魏の宗族トップとして認められた名家。
献帝拓跋鄰の時に兄弟などから「十姓」が成立。
十姓は下記である。
―――――――――
紇骨氏(後に胡氏と改める)…始祖は拓跋鄰の長兄
普氏(後に周氏と改める)…始祖は拓跋鄰の次兄
拔拔氏(後に長孫氏と改める)…始祖は拓跋鄰の三兄[16]
帝室拓跋氏
達奚氏(後に奚氏と改める)…始祖は拓跋鄰の長弟
伊婁氏(後に伊氏と改める)…始祖は拓跋鄰の次弟
丘敦氏(後に丘氏と改める)…始祖は拓跋鄰の三弟
俟亥氏(後に亥氏と改める)…始祖は拓跋鄰の四弟[17]
乙旃氏(後に叔孫氏と改める)
車焜氏(後に車氏と改める)
――――――――――――
https://www.weblio.jp/wkpja/content/拓跋部_言語系統
この中に、
拔拔氏(ばつばつし)というのがある。
これが北魏の漢化政策の際、
氏を長孫に変えた。
だから本貫は洛陽である。
氏を変えたときに、
都は洛陽であり、
本貫は洛陽になる。
宗族のトップ拔拔氏が
北魏帝都の洛陽を本籍地にするのは当然である。
●439年の北魏華北統一=異民族同士の争いに勝利。
鮮卑拓跋氏は、
439年に華北を統一する。
この後、胡漢融合策で
氏を変えるなどの大胆な政策を行う。
が、その前に重要なのは、
五胡十六国時代において、
東晋を交えつつ、異民族が抗争を行なうが、
これに鮮卑拓跋氏が勝ち切ったという事実だ。
勝ち切ったのが439年なのである。
だから、これで五胡十六国時代が終わり、
南北朝時代となる。
東晋の正統性を継承する漢民族南朝と戦う権利を得たのが、
北魏拓跋氏だということである。
東晋を抜きにして考えると、
この五胡十六国時代というのは、
どの異民族が中華侵略の主役となるかの争いとも言える。
八王の乱の後、
様々な異民族が中華に乱入してくる。
匈奴、鮮卑、羯、氐、羌を五胡として、
それぞれ王朝を興亡させていく。
この異民族攻防戦に勝ち抜いたのが、
鮮卑族の拓跋氏なのである。
拓跋氏は鮮卑はおろか、
ほかの異民族も支配する。
異民族のトップとして君臨。
異民族の中での拓跋氏は最上の貴種となったのだ。
●唐は異民族の貴族王朝
この北魏の正統性を受け継ぐのが
隋唐である。
李世民は、
異民族のサラブレット、貴族、御曹司として、
事実上唐という王朝を創始。
そして、前王朝の北魏の最上の血統を継ぐ、
娘を皇后に迎えるのである。
つまり、
唐とは実は異民族の貴族王朝と言える。
だが、それは余程隠すべきことだったのだろう。
李世民以下唐の皇帝・宗族たちは、
自身が異民族エリートであることを隠してまでも、
漢民族のフリをしたかったのである。
●参考図書:
シナ(チャイナ)とは何か (第4巻) (岡田英弘著作集(全8巻))
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