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三国時代末期。
いわゆる三国志の時代。
三つの国が争う、この魅力的な時代。
意外にも最も早く消滅したのは、
三国で最も強国の魏であった。
●魏の司馬昭と鮮卑拓跋力微の事実上の同盟
魏を事実上消滅させたのは、
司馬昭である。
この時代に合わせて、
異民族の歴史も動く。
魏を掌握し、
禅譲への条件を満たすために行動する司馬昭。
258年に盛楽(いまのフフホト)で数万戸を従えた拓跋力微。
両者の利害が一致し、
拓跋力微は261年、司馬昭が主宰する魏に服属する。
・司馬昭のメリット
司馬昭はこれで異民族を服属させるという栄誉を手に入れる。
先に申し上げた通り、これは戦略上の問題ではなく、
司馬昭が高い徳を持つことを証明する。
司馬昭は前年の260年、魏の皇帝曹髦を賈充の手により弑逆。
この事件は、
陳寿の正史三国志には記載がない。
事実上皇帝を殺した賈充をその君主司馬昭が裁かなかったことで
司馬昭が皇帝弑逆の汚名を着せられてもおかしなくない内容であった。
それほどの大事件であり、司馬昭としては抹殺したい事件であった。
もうこうなると、
司馬昭は禅譲以外にもう道がない。
後戻りができないのだ。
ここにきての、
拓跋力微の服属。司馬昭はこれを相当に喜んだに違いない。
匈奴亡き今、鮮卑の中でも有力となりつつあった鮮卑拓跋氏。
塞外の状況などに関心のない漢人たちに対しては、
この鮮卑拓跋氏は古の匈奴並みの脅威にも関わらず、
私司馬昭の徳を慕って服属してきたのだ、と
話を持って喧伝すればいいのである。
・拓跋力微のメリット。
鮮卑族の中でも有力な力を持ちつつあった拓跋力微。
鮮卑の英雄檀石槐(だんせきかい)の死後、
80年近く争ってきた結果の拓跋力微の台頭。
とはいえ、まだまだ鮮卑族の対立は続く。
まだまだ有力な敵対勢力がいる中、
拓跋力微が司馬昭が主宰する魏に服属することで、
魏の支援を受けることができたのは
非常に大きい。
最も大きなメリットは交易である。
異民族と漢民族の端境地において、
交易が行われる。
この交易の異民族サイドの権益を
拓跋力微が独占するのだ。
馬、羊、山羊などの家畜や、
毛皮などを漢民族に売る代わりに。
漢民族からは穀物や、文物を手に入れる。
これだけでも大きな利益だが、
さらに手に入れた文物などを
ほかの異民族に高く売る。
そうすれば瞬く間にとてつもない財産を手に入れるのだ。
こうすると、
北方における拓跋力微の優位は揺るぎなくなる。
司馬昭に服属するというのはつまり、
異民族の中での覇権を認定されたことに他ならない。
●司馬昭の子司馬炎と鮮卑拓跋力微の共存共栄
拓跋力微は、
魏に服属することで、旧黄河回廊の覇者となった。
司馬昭は、匈奴に代わる勢力として、
鮮卑拓跋氏を服属させたとして、
名声を得る。
これは禅譲の正当性を主張する一つの材料となる。
司馬昭は、
禅譲まであと一歩のところで265年に死去。
死因は中風。中風とは脳血管障害のことを指す。
司馬昭には相当なストレスがあったのかもしれない。
司馬昭の死を受けて、長子の司馬炎が後を継ぐ。
そのまま、すでに準備が整っていた禅譲へとなだれ込む。
魏の元帝から禅譲を受け、司馬炎は皇帝となる。
西晋の武帝である。
拓跋力微が司馬昭に服属する。
実際には、ただの同盟だ。
この同盟の目的は一言で言うと、
お互いの覇権を認めることである。
拓跋力微は覇者となり、
司馬昭の子、司馬炎は晴れて禅譲に成功し、皇帝となった。
これでお互いの目的は達成した。
つまりこの同盟の目的は果たされたのである。
拓跋力微は覇権維持のために
西晋司馬炎との事実上の同盟は必要かもしれない。
現実的に拓跋力微は最後まで司馬氏の西晋と事を構えようとはしなかった。
しかし、
皇帝となった司馬炎には、拓跋力微にこだわる必要がなかった。
●西晋皇帝となった司馬炎、鮮卑拓跋力微が目障りとなる。
漢にとっての匈奴が、
西晋にとっての鮮卑拓跋氏である。
鮮卑拓跋氏の拓跋力微は、
261年に司馬昭が主宰する魏に服属してから勢力を拡大。
盛楽(フフホト)に限定された勢力だったが、
旧黄河回廊を支配。
盛楽、今のフフホトを本拠に、
東はウランチャブ、張家口、さらに幽州の北までを支配。
漠北も掌中に納め、
さらに先の遼東の烏桓も服属させ、
まさに冒頓単于時代の匈奴の再来であった。
ウランチャブから南に行けば、
代の平城(いまの大同)である。
ここは春秋時代には完全な異民族の地であった。
それを春秋時代末期、趙無恤(趙襄子。ちょうむじゅつ)が
策略で奪取。
その後時代は下り、
前漢高祖劉邦の庶子、のちの前漢文帝が代王として赴任。
これが決定的な事績となり、
代は完全に中華となる。
漢民族の象徴たる前漢、それも名君で前漢の太宗(家の祖という意味)文帝が
赴任していた代を異民族の地とは言えるわけがない。
ここ代は中華皇帝として絶対に確保しなくてはいけない土地なのである。
この代の北に、冒頓単于を彷彿させる勢力を
創り出した拓跋力微。
これに当時の中華皇帝、西晋司馬炎が
不快に思わないわけがなかった。
拓跋力微は現実的に脅威である。
心情としても、司馬炎からすれば目障りだ。
黄巾の乱以来の中華の混乱を、
祖父、叔父、父の功績とはいえ、
皇帝として収拾しつつある司馬炎。
前漢武帝と並び立つ功績が目の前にある中、
前漢高祖劉邦が冒頓単于に足をすくわれたように、
拓跋力微ごときにやられてはいい恥さらしである。
拓跋力微のほうは西晋に対して敵意はなかったようだが、
司馬炎はこうして拓跋力微の勢力を削ごうと考え始める。
中華皇帝のリアリズム。
利用価値のあった異民族は今度は、叩きのめす方が
価値が高いとされるのだ。
それこそが、真の中華皇帝だからである。
●参考図書: