英雄になり損ねた桓温の生涯をまとめる。
- ●曹操は当時の英雄たちのあこがれ
- ●桓温の生い立ちと、立身のきっかけ
- ●桓温、亡き東晋皇帝明帝の婿となる。
- ●庾氏三兄弟勢力の一翼を成す。
- ●桓温の最初の電撃戦、成漢討伐は独断専行。
- ●桓温、殷浩を追い落とし、司馬昱を取り込む。
- ●桓温第一次北伐、電撃戦で長安包囲。
- ●桓温第二次北伐、電撃戦で姚襄と死戦。勝利し洛陽を回復。
- ●桓温は手持ちの戦力では華北制圧は難しいと悟る。
- ●桓温が行った土断の意味。
- ●桓温第三次北伐。電撃戦を慕容垂に見破られ敗退。
- ●桓温の挙国一致最後の策は、長年の盟友司馬昱を皇帝にすること。
- ●桓温の遺言;
正史の上では悪評高い桓温。
しかし、その実態は、東晋の全盛期を創出した英雄であった。
桓温の記述をまとめてここに載せたい。
●曹操は当時の英雄たちのあこがれ
桓温の生涯の結論は、
同郷の曹操になろうとしてなれなかった、
というのが桓温の一生だと私は思う。
桓温は曹操に比されて批判されるが、
桓温自身が曹操のようになろうとしたからこそ、曹操自体が批判されることになったのだと
思う。
これは不思議なことではない。
石勒も曹操を模した。
この時代における最高権力者の一つの憧れが、曹操だったのだ。
●桓温の生い立ちと、立身のきっかけ
312年生まれ。
本籍譙国。曹操と同郷である。
同郷なのだから、桓温が曹操を意識しないわけがない。
生まれたのは永嘉の乱の真っ只中。
父桓彝(かんい。276年ー328年)を蘇峻の乱で殺される。
仇討ちをして、名を挙げる。
●桓温、亡き東晋皇帝明帝の婿となる。
明帝の長公主を娶る。
庾亮の推薦。皇帝ファミリーとなり、一気に高位に登る。
●庾氏三兄弟勢力の一翼を成す。
庾翼とともにはじめての北伐に参戦。
庾翼が死に、西府軍の総帥に任じられる。
●桓温の最初の電撃戦、成漢討伐は独断専行。
成漢討伐。電撃戦。
東晋内部でも、兵を動かしてからの報告、つまり事後報告であった。
●桓温、殷浩を追い落とし、司馬昱を取り込む。
成漢討伐成功で一躍名を挙げた桓温。
司馬昱が登用した殷浩とのつばぜり合い。
●桓温第一次北伐、電撃戦で長安包囲。
第一次北伐。電撃戦。
桓温が管轄する兵力だけで、長安を攻める。
長安は落とせなかったが、東晋建国以来の快挙であり、
桓温は英雄となる。
●桓温第二次北伐、電撃戦で姚襄と死戦。勝利し洛陽を回復。
第二次北伐。いざ洛陽へ。電撃戦。
姚襄との死戦。
●桓温は手持ちの戦力では華北制圧は難しいと悟る。
荊州だけでは限界があることを知る。
●桓温が行った土断の意味。
土断。これは桓温が皇帝から預かる兵力の増強が目的である。
土断は、東晋国内の貴族名族たちの権益を侵犯するものだったので、
桓温は多数派工作を行う。
挙国一致を目指す。
しかし、漢晋春秋をはじめとして
桓温批判が強まる。
土断の強行。慕容恪がまもなく東晋の洛陽を落とす寸前に強行。
●桓温第三次北伐。電撃戦を慕容垂に見破られ敗退。
土断後、東晋皇帝の崩御で兵を思うように動かせなかった桓温。
土断後5年経ってようやく、絶好のチャンスが訪れる。
前燕の内紛である。
369年第三次北伐。
満を持しての華北討伐。
やはり電撃戦。
しかし、慕容垂の用兵の前に大敗。
慕容垂には電撃戦が通じなかった。
●桓温の挙国一致最後の策は、長年の盟友司馬昱を皇帝にすること。
長年の盟友、司馬昱を皇帝にして
挽回を図る。
しかし、司馬昱は皇帝になって六ヶ月で死去。
桓温もその翌年に死去。
桓温の夢潰える。
●桓温の遺言;
●参考図書: