蜀漢の歴史の中で、
録尚書事に任官されているのは、
四人しかいない。
諸葛亮、蒋琬、費禕、姜維の四人である。
それぞれの在任期間は下記となる。
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録尚書事
222-234 諸葛亮
234-246 蒋琬
243-253 費禕
247-263 姜維
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魏にも録尚書事という官職はあるが、
基本的に2名体制であった。
蜀漢においては、
蒋琬が病に伏したことで、費禕を録尚書事に任官された
243年までは一名体制であった。
録尚書事は百官の事実上のトップである。
尚書省という部門がある。
ここは皇帝への上奏を取り扱う部門である。
この尚書省の長官が尚書令である。
この尚書令がトップかと思いきや、その上に
録尚書事という官職があるのだ。
この録尚書事の由来は、前漢の霍光に遡る。
霍光は武帝の遺詔により、後事を託されていた。
この霍光は本官の大将軍に「領尚書事」を加官されている。
尚書のことを総領するという意味である。
前漢の武帝の時に、
尚書と中書が設立された。
尚書は、皇帝への上奏を、中書は、勅令の起草を扱う。
武帝の時代には、皇帝専制が確立され、
外廷の丞相の権限が弱体化していた。
皇帝が専制政治を行うにあたり、
自身の政務機関が必要となるが、
それが尚書と中書である。
領尚書事は、尚書と中書を統括した。
皇帝へのレポーティングと勅令を司る最終責任者であるのが、
この領尚書事である。
首相格ということになる。
途中、中書が廃止されるなどがあり、
後漢に入り、
領尚書事は録尚書事と改名される。
そうして、
三国時代に至る。
魏文帝曹丕在世時、
録尚書事は二名で、
陳羣と司馬懿であった。
魏は皇帝専制を志向しており、
録尚書事が臣下としての最高権力者である。
なお、
平尚書事は、
261-263 諸葛瞻・董厥
である。
録尚書事の下位である。姜維の時に新設。
上記までは、録尚書事の下位は尚書令である。
尚書令
222-231 李厳
?-243 費禕
244-246 董允
246-251 呂乂
241-258 陳祇
258-261 董厥
261-263 樊建